ゲーム人生

人生はゲームのように華麗だ。

人に好かれる努力はしない。

愛とためらいの哲学 (PHP新書)

僕の場合、人に好かれる努力をしたのに、相手からの高感度があがらないと、俺は何無駄なことをやっているだろうか?、もっと有効な時間の使い方があるだろうにという風に思ってしまうことを経験した結果、人に好かれる努力はしないで、自分が幸せを第一にして生きていこうという思いが強くなりました。ただね、自分の幸せを第一だと思えば思うほど、一人孤独になっていってしまうので、ある程度の他人の幸せのことを考えて行動したほうがいいかもしれないと僕も思うときがある。

一番僕がいいと思うのは、人が幸せになってほしいという気持ちをもって、他者が喜ぶことを0円でやってあげることなんだ。だけどね、人に幸せになってほしいと思うには、自分がポジティブな気持ちをもてていないといけないし、自分がポジティブじゃないと他人に不幸になってほしいという気持ちをもってしまうのが人間だから、いつも、他人が喜ぶことを0円でしてあげることはできないんだ。

人に好かれる努力はしないことと孤独。

人間は一人でいることを受け入れ、孤独な人生を受け入れることさえできれば、他人に好かれる努力をせずに、自分が喜ぶことだけに労力を使う生き方をすることができるんだ。ここでいう孤独になれすぎてしまうと、他人とコミュニケーションを一切とりたくないし、他人と関わることが極度にこわくなってしまうなどの完全な社会不適合者になってしまうという新たな問題が発生する。

上記のことからわかることは、孤独も社会不適合者も全部受け入れることができるのであれば、人に好かれる努力をしないことを徹底してもいいとおもうが、孤独も社会不不適合者も全部受け入れないのであれば、ある程度は人に好かれる努力をしたほうがいいかもしれん。
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人に好かれた先に何もない。

自分の幸せは、自分の趣味、自分の仕事の満足度、普段の散歩活動で決まると自分は思っているせいか、人に好かれた先に何もないし、人にすかれる努力をする意味もないと自分は思っている。こういうふうに思うと、人生が虚無すぎてつまらないとも感じるから、人のことを愛したいし、人に愛されたいなという気持ちをもっていきていくのもありなんじゃないかと思うときが僕にもある。

最後に、

人に好かれる努力はしないけど、人を大好きになったり、人を愛する心をもてたりすると、自分の周りに人が集まってくるのかもしれない。それがわかっていても、人に好かれるメリットってなんだ?と余計なことを考えてしまうのが、僕ら人間がやりがちなこと。