ゲーム人生

人生はゲームのように華麗だ。

動物愛護と優生思想。

動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

21世紀では、チンパンジーやゴリラは人間よりも身体能力が優れているのに、チンパンジーやゴリラは身体能力だけ高く、人間よりも劣る生き物だと馬鹿にされているんだ。これを動物愛護と優生思想の観点でみると、ゴリラやチンパンジーは運動神経が優れているから、ゴリラやチンパンジは価値がある素晴らしいいきものだという風に捉えることができるんだ。これらのことからわかることは、人間は自分以外の種族の重要さを知能のよしあしでしかみていない。

21世紀では、猫やライオンやチーターは、人間よりも足が速く、ジャンプ力が優れているのに、猫は人間よりも知能が低く、人間よりも無価値な動物であると思われているんだ。これを動物愛護と優生思想の視点でみると、猫やライオンは人間よりも足が速いからとてつもなく価値があるいきものであり、猫やライオンは人間よりもジャンプ力があるからとてつもなく価値がある生き物であると捉えることができるんだ。これらのことからわかることは、人間は、自分以外の種族の優劣を真剣にみようとしない。

21世紀では、マグロやカジキは、人間よりも泳ぐ能力が高いというのに、人間からは食用生物でしかないという視点でしかみないんだ。これを動物愛護と優生思想の視点でみると、人間のオリンピック選手よりも泳ぐ価値があるカジキやマグロは、人間以上の価値があると捉えることができるんだ。これらのことからわかることは、僕らが普段寿司屋で食しているマグロやカジキも優れた生物であるということ。

21世紀では、シャチやイルカやクジラは、人間よりも体もでかく、人間より泳ぐ能力が高く、人間に近い知能をもっているという面に誰もめをむけず、シャチやイルカやクジラは人間よりも馬鹿だから、シャチやイルカやクジラの肉をたべていいよねということが蔓延している。これにかんして自分がいいたいのは、人間よりも遥かに遊泳能力が高いだけでもシャチやイルカやクジラはかなり価値があり、優れた生き物であるから、シャチやイルカやクジラの命を大切にしようとする視点をもってほしいなと思う。

21世紀では、犬やオオカミは、人間のいうことを聞くシモベというあつかいしかうけていないし、犬に限っては保健所で処分されるほど重要視されていない存在なんだ。これを動物愛護と優生思想の視点でみると、犬やオオカミは、人間よりも足も速いし、ジャンプ力もあるし、人間よりも戦闘能力が高いから、犬やオオカミはかなり優れた生物であると捉えることができる。これらのことからわかることは、人間が勝手な価値観で、犬は知能が人間よりも低いから、犬の動物的価値は低いと決め付けているだけなんだ。

21世紀では、そこらへんにいる虫は、人間よりも遥かに知能が低く、虫という生物に価値はないと決めつけている人間がたくさんいる。これを動物愛護と優生思想の視点で見ると、虫は人間がどうがんばってもできないサナギになるという形態をもっているし、虫の増殖スピードは人間の何十倍以上であり、虫が人間よりも優れている部分はある。これらからわかることは、僕らが普段から見下している虫はかなりすぐれたいきものである。
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最後に、

動物愛護のいきすぎは人類の繁栄にはマイナス部分がおおいですが、動物は優れているから動物の命を大事にしようという考えは大事なのではないかなとおもうのです。