毎日毎日、適当に生きていると俺が生きている意味はなんなのか?と考えることがあります。そんなときに、俺が生きていても何か成し遂げるわけでもないし、生きている意味などないと考えると、生きていることが億劫になってしまいます。そうならないためにも、毎日余計なことを考えずに、快楽だけをもとめて適当に生きるべきなのかなと思うことが少なくない。
人が生きるている意味。
人が生きる意味はほとんどなくて、親が勝手に自分をこの世に産み落としてしまったから、仕方なく生きているという人が多い。特に自分の場合は大企業で働いているわけではないので、自分が世界を変えているという感覚を仕事を通じて得ることができないため、毎日何のために生きているのか?がわからない。自分のように生きている理由がわからなくならないためにも、新卒の時にしっかりと就活して、社会貢献をしている大企業に就職しよう。
産んでくれてありがとうという感覚。
日本には、親に対して産んでくれてありがとうと言わなければいけない風習がある。でもね、よーく考えてみると、この世に生を受けるということは嫌なヤツと喧嘩したり、大病を患ったり、インフルエンザになったり、仕事で辛いことがあったりして、嫌なことばかりなわけですよ。そんなクソみたいな世の中に自分を産んだ親にありがとうというのはおかしいんじゃないのか?と思うこともあります。
そう思うこともあるんだけど、嫌なことや病気にかかることで、苦痛を感じるからこそ、人は幸せな事があった時に素直に楽しいと思える。ただ、楽しいことが一切ない人生になると、何のために生きているのかわからないという状況になってしまうので、注意が必要。
生きている意味について考えるな。
人間はサルが少し賢くなった動物でしかなく、特別な動物ではないし、ただの哺乳類だ。ただの哺乳類が生きている意味なんて考えないし、ほとんどの哺乳類は餌をたべて寝て起きるという単純な生活を送って、幸せを感じている。だから、人間も哺乳類のことを見習って、飯を食って、寝て、起きるということに幸せを感じるようになるべきなんだ。そうなれば、生きている意味がないという理由で、自分の命を捨てる人もいなくなる。
最近自分も、生きている意味について考えるたびに、生きている意味はないという結論に達してしまい、精神的な苦痛を感じる。その苦痛から逃れるには無心になるしかないのだけど、なかなか無心になれないね。
生きている意味と選民意識。
俺は神に選ばれた人間だという選民意識をもっていれば、選ばれた人間だから俺は生きているんだという理由がもてるので、生きる意味を持ちたい人は、選民意識を持って毎日生きていこう。自分の場合は、自分の能力の低さを自覚しているせいか、選民意識たるものが薄れてしまい、毎日なんのために生きているのかわからないという状況に陥っている。
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最後に、
生きている意味を考えることは不毛な時間。