あいぽんの毎日のアンチの9割は、あいぽんの毎日にはファンはおらず、あいぽんの毎日は嫌われものでなければならないし、あいぽんの毎日に投げ銭したり、あいぽんの毎日にプレゼントをするやつの気持ちをもっています。その裏にあいぽんの毎日の囲いがいて、あいぽんの毎日の囲いはあいぽんの毎日のほしいものを何でも買ってあげたり、あいぽんの毎日のライブ配信に投げ銭をしたりしたり、あいぽんの毎日にリアルで会いに行っています。これらのことからわかることは、どんなにアンチが多い人でも、ファンというものが存在するし、ある程度露出を増やせばどんな人でもアンチもできるし、ファンができるのだということ。
あいぽんの毎日の囲いのグッピーさんという存在を知ったときの衝撃。
あいぽんの毎日のような会社で働いていない、すぐバイトをやめる、女性軽視をしているとんでも男に、プレゼントをあげたり、現金をあげるというあいぽんの毎日の囲いグッピーさんという存在を僕が知ったときは、あいぽんの毎日のことを大好きになってくれる人がいるなら、俺のことを好きになってくれる人もいるという大きな希望を持つことができたんだ。
これだけはいっておきたいのは、あいぽんの毎日がyoutubeの広告収入とスパチャと信者からのお布施で生活できるようになってしまうと、あいぽんの毎日はいつまでもyoutuberの生活をやめないし、いつまでも会社で働くという選択をしなくなってしまうので、あいぽんの毎日の信者があいぽんの毎日スパチャをなげたり、あいぽんの毎日の信者があいぽんにプレゼントする行為は、あいぽんの人生を悪い方向に導いているといえる。逆に、あいぽんの毎日のアンチは、あいぽんの毎日、youtubeで小銭なんか稼いでないで、とっとと会社で働けという、あいぽんの毎日の将来を心配してくれるコメントばかりしてくれるので、あいぽんの毎日のアンチは、あいぽんの毎日の信者よりもいい奴ばかりであると断言することができるのだ。
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あいぽんの毎日の囲いが増えるとどうなるか。
あいぽんの毎日のファンが増えると同時に、あいぽんの毎日の囲いグッピーさんがただのファンの一人になってしまうし、あいぽんの毎日自体も、俺には囲いがこんなにもたくさんいるから、囲いの一人でしかないグッピーさんを大切にしなくてもいいかあという思いが芽生えてくる。こういう一連の流れがあるから、古いあいぽんの毎日の囲いは、頼むからあいぽんの毎日さんはある程度無名の状態でいてくれとおもってくれと思っているに違いない。
これだけはいっておきたいのは、インターネットで一円もお金を儲ける必要がない人にとっては、アンチも囲いもいらないし、youtubeに動画を一本もアップロードする必要はないよなあと。でも、あいぽんの毎日の囲いのグッピーさんのような自分を応援してくれる存在は一人は絶対にほしいなとも思ってしまう。