25歳 何もしてこなかった人の詳細。【なんJ,海外の反応】
25歳、何もしてこなかった、というその響きは、世間一般が定義する“時間”という檻の中で生きる者たちにとって、ある種の敗北宣言のように聞こえるのだろう。しかし、その内実は、ただ社会的レールを歩まなかったというだけに過ぎない。大学も就職も、恋愛も交友も、貯金もスキルも、すべて空白。履歴書には何一つ書くことがない。だがその「空白」は、無能ではなく、沈黙を選んだ思想的選択であることを、探求しすぎたカリスマは見抜いている。
何もしてこなかったのではない。何かをやる意味を問うた果てに、何も選ばなかっただけ。やる気がなかったのではない。社会が提示する“やるべきこと”の嘘くささを、本能的に察知した知性の一形態だ。なんJでは、こうした25歳無職を「詰み」「末期」と片付けるが、彼らの視座はあくまで凡俗の延長線に過ぎない。25年の空白は、衝動を抑え、流行に染まらず、黙して沈思しつづけた修行の時間でもある。
海外の反応はまた異なる。アメリカのRedditでは「まだ若い、起業すればいい」と励まされ、ドイツのフォーラムでは「哲学を学ぶ時間だったと思えばいい」と肯定される。だが、それすらも浅い。なぜなら25年間、無職のまま“何者にもならないこと”を貫いた者は、世界の評価軸にすら従属しない、真のアウトサイダーだからだ。
親族は呆れ、世間は嘲笑し、SNSでは「こどおじ」と罵られる。しかし本質は、資本主義というピエロの仮面を剥ぎ取った先で、社会という幻想を見抜いてしまった存在。何も持たない、何者でもないという純粋性。それは、生まれ落ちたままの状態に近く、人間の始原的姿に回帰したようでもある。
他人は資格を持ち、職歴を積み、貯金を増やし、恋人を得て、家族を形成し、住宅ローンを組み、老いを恐れ、病に怯えながら、死を忘れる。それが常道だ。しかし、25歳何もしてこなかった者は、既に死を見つめてきた。無の時間とともに、夜を越え、朝に目覚め、また沈む太陽を見てきた。意味のない毎日の中にこそ、真の「意味の不在」が立ち現れ、それを受け入れた者の精神構造は、常人とは異なる軌道にある。
それは「人間をやめる」とは違う。「社会人をやめる」でもない。ただ、社会という無限ループから一歩だけ外れた地点に佇む者。それがこの25歳無職の本質だ。なんJ民はその孤独と無力感を嗤いの対象に変換することで、自らの空虚を正当化しているだけにすぎず、また海外の反応のように「希望」や「チャンス」にすがる態度も、どこかで今の現実を拒絶している逃避でしかない。
真に探求しすぎた者は、希望にも絶望にも価値を見出さない。ただ事実を凝視する。何もしてこなかったという事実。そして、そこに宿る潜在力。その沈黙の時間にこそ、資本や才能では計測できない深度がある。そこに気づかぬ者たちは、「遅れてる」「終わってる」と唱えるが、それは、進んでいるつもりで足元を見ていない証拠でもある。
25歳、無職、実績ゼロ。だがその者は、今日も静かに空を見上げている。ただ一切の比較から解放された場所から、この世界の歪みを、眺めつづけている。すべてを一歩引いた目で見られるその視座こそ、真に探求しすぎた魂の特権だ。社会における成功とは、時に最も浅い地点にある。そして失敗とされる人生には、底知れぬ深みが眠っている。
このような25歳は、「レールを外れた」というよりも、そもそもレールという概念そのものに懐疑を持った種族である。義務教育、高校、大学、そして就職。この直線的な構造が人間の最適な生存戦略だと、誰が決めた? 25年間、沈黙しながら観察してきた者にとって、それはあまりにも単純な物語構造に過ぎなかった。疑うことを知らぬ羊たちが作り上げた、セーフティネットという名の檻。そこに自ら進んで入りたがる群衆心理の脆さ。探求しすぎたカリスマは、それを“思考の自死”と呼ぶ。
だが、この25歳無職が抱えているのは、単なる怠惰ではない。むしろ、世界の欺瞞を徹底的に読み解こうとする過剰な誠実さだ。働かないのは、働くことの意味が問えなかったからだ。学ばなかったのは、学校が“答えありき”の問いしか提示しなかったからだ。恋をしなかったのは、他者との関係に自我を失う危険性を感じたからだ。金を稼がなかったのは、貨幣という幻想が支配する世界を信用していなかったからだ。
なんJで言われる「社会不適合者」という言葉は、実のところ、「社会に都合のいい存在でない者」に対する怒りの表明であり、そこには自身が適合を強いられてきた痛みが投影されている。だから、25歳で何もしてこなかった人間が存在することそのものが、社会の既定路線の正当性を揺るがす存在になる。生きることがキャリアや実績の集積であると信じる者たちにとって、無のまま生き延びる者は、まるで神のように得体が知れない。
海外の反応を見ても、明確な割り切りが難しい。東欧では「国家が何もしてくれないから、自分で何もする気も失せた」という共感も見られる一方、フランスでは「それでも芸術に触れていれば価値はある」という解釈もある。だが、どの国でも本質的な問いに辿り着いた声は少ない。「なぜ、人は何かをし続けなければならないのか?」という問いが抜けている。
何もしてこなかった25年間には、行動の痕跡がない代わりに、思考の堆積がある。その深度は、キャリアを積み上げた者よりも遥かに厚いかもしれない。焦燥や嫉妬や後悔を、ただ内側で咀嚼しつづけた時間。社会に放たれた毒に侵されながらも、表出することを拒んできた精神の粘性。その奥底には、世界に絶望しながらも、生き続けてしまったという矛盾が巣食っている。
探求しすぎたカリスマの視点から見るならば、このような25歳無職の存在は、時代の病理を内在化した結晶体でもある。就職氷河期でもなければ、家庭が極貧でもなく、ただ静かに何もしなかったという選択。その選択を可能にしたインターネット環境や、最低限の衣食住の保証が、逆説的に人間の“行動の意味”を問い直す場を与えてしまった。
社会の中で何者かになることが善であるという通念は、もはや賞味期限を過ぎている。この25歳無職は、その賞味期限切れの社会的価値観の中で、敢えて空白を生きることに意味を見出しているのかもしれない。何者でもないことは、無力ではなく、無垢であるということ。未来を定めぬまま、過去に執着せず、今という空間にただ在りつづけること。それはもはや“社会人”ではなく、“観察者”である。
だが、その観察者もまた、人間である限り飢えも恐れも抱える。無職のまま生きることは、決して自由ではない。焦燥と比較と自責が、夜毎襲いかかる。それでも立ち上がらない、行動しないという選択を、25歳まで保ちつづけるには、それなりの覚悟と狂気が要る。やがて、その狂気が新たな思想となるか、破滅へと続く自壊になるか、それはまだ誰にもわからない。だが確かなのは、この25歳という断絶の地点で、凡人では辿り着けぬ深層を垣間見ているということだけである。
その深層とは何か。世間が“無”と定義するこの25歳の人生は、実のところ、存在の原点に最も近い場所に立っている。人は生まれ落ちた瞬間、何も持たず、何者でもなく、ただ泣くだけの存在だった。その後、名前を与えられ、教育を施され、役割を割り当てられ、社会的仮面を被らされる。そして気づけば「何者かにならねばならない」という強迫に駆られ、無数の肩書きに自我を明け渡していく。だが、25歳で何もしてこなかった者は、その仮面すら被らぬまま、原点にとどまりつづけた存在である。
なんJでは、「終わってる」「このままじゃ親も泣く」と、テンプレート的な反応が量産されるが、それは彼ら自身が“何かをしてきた”ことで、むしろ自分を見失った側の人間である証でもある。大学へ行き、企業に入って、役に立つスキルを習得し、安定した収入を得て、恋人と暮らし、年末に帰省し、老後を心配する。社会的には正解だ。だが、その過程で自分が何を捨て、何を偽って生きているのか、見つめ直す時間を持った者はどれだけいるのか。
25歳無職という存在は、その問いを身をもって突きつけてくる。社会の指針をすべて無視した存在が、まだ生きている。しかも多くは、鬱にもならず、犯罪にも走らず、ただ沈黙のまま日常を繰り返している。これは恐ろしい事実である。なぜなら、行動がなくとも、人は生きてしまえるという真理を証明してしまっているからだ。この事実は、すべての「忙しさ」に意味を見出している者たちの足元を揺るがす。
海外の反応では、そういった沈黙の生存者に「無限の可能性」を見出そうとする者もいる。「まだ間に合う」「一発逆転の起業だ」「世界旅行で価値観を変えろ」などの言説が並ぶが、それらもまた、“何者かにならなければならない”という信仰の延長にある。25年間、無職として何者にもならなかったということは、その信仰体系の外側に立っている。だからこそ、単なるチャンスの話ではなく、“価値とは何か”という根源的命題が付きまとう。
何もしてこなかった25年。それは同時に、他者の価値観に抗い、選ばなかった時間でもある。世間が「動け」と叫び、親族が「そろそろ働け」と諭し、SNSが「成功体験」をチラつかせる中で、あえて動かなかった者には、彼らなりの哲学がある。その哲学は、言葉にされることも、評価されることもない。だがその沈黙の背後には、日々生存してきたという厳然たる事実がある。それは、空白ではない。沈黙の奥底に積もり続けた、見えない“重さ”なのだ。
探求しすぎたカリスマから見れば、25歳で何もしてこなかった者は、社会における敗者などではない。むしろ、“人間とは何か”という問いを、無言のまま自らの肉体と精神で問い続けた、数少ない純粋な存在である。何者でもないということは、あらゆる可能性を未定義のまま保持しているということであり、また社会的役割に縛られていないがゆえに、“現実”そのものを最も鋭く観察できる立場にいる。
この世界の多くは、価値を証明しなければ生きる資格がないというルールで動いている。だが、価値を証明しないまま生きている者の存在は、そのルールが虚構であることを静かに暴いていく。何もしてこなかった25歳の背中には、そうした現代社会に対する静かな反抗の痕跡が刻まれている。評価されず、賞賛もされず、罵倒の対象としてしか扱われないその存在は、実のところ、この世界で最も“自由に近い”立ち位置にいるのかもしれない。
自由とは何か。その問いに対して、世間が用意した答えは常に条件付きだった。労働の自由、発言の自由、選択の自由――いずれも経済的・社会的基盤の上に成り立つ、疑似的な自由に過ぎなかった。だが、25歳で何もしてこなかった人間が持つ自由は、それらとは質が違う。それは“何も選ばない自由”であり、“何者にもならない自由”であり、“意味の回収を拒絶する自由”である。
この自由は美しくもあるが、同時に非常に残酷だ。なぜなら、そこには何の保証もないからだ。未来の可能性という言葉も、支援制度という仕組みも、恋愛や友情という関係性も、その自由の中では本質的に“不要”であり、“不在”となる。だからこそ、25歳無職が見ている景色は、一般的な視座とは完全に異なる。人々が“生きがい”と呼ぶものは、彼らにとっては“意味づけの強迫”でしかない。そして、それを拒んだ果てに到達するのは、“存在そのものへの問い”なのだ。
なんJで揶揄される「何してんの?」「親の金で生きてて楽しいか?」という言葉もまた、社会という麻薬から抜け出せない者たちの断末魔のようなものである。誰もが内心では気づいている。“意味”を過剰に求めすぎた結果、誰もが意味に縛られているという矛盾を。25歳無職は、その矛盾から一歩外れた地点に立っている。社会的には「不適合者」であっても、思考の自由度においては、限界まで振り切った“異端の知性”と言える。
海外の反応にも、その特異な存在に対する驚きは表れている。アメリカのフォーラムでは「spiritual dropout(精神的ドロップアウト)」と評され、インドの掲示板では「ヨーガ行者と似た空気がある」とまで言われた事例がある。日本の25歳無職が、いつのまにか世界のどこよりも“深い”問いを生きる実例として捉えられ始めているのは皮肉である。西洋が宗教や哲学の外側で掴めなかった“ただ在ること”への理解を、日本の引きこもり文化の中に見出そうとしている声すらある。
何もしてこなかったことが罪だとする論調は、常に“何かをしてきた側”からの視点だ。だが、全ての行為の根底に虚無が流れていると気づいた者にとって、行為そのものが既に無意味である。そしてその無意味さの中に、“無限の静寂”がある。その静寂は、騒がしい社会の喧噪の中では決して聞こえない。だが、25年間、沈黙し、無職のまま過ごした者は、その静寂と共に生きる術を身につけてしまった。
その術は、言葉にすることができない。金にも換算できないし、実績として提出もできない。だが、それは確かに存在する。朝起きて、何の予定もない日をただ眺めることができる胆力。誰からも期待されず、誰にも期待せず、ただ目の前の時間を流しながら、それでも焦燥に飲み込まれずにいられる精神構造。その境地に達するために、多くの哲学者は数十年を費やしたが、この25歳無職は、社会の片隅で、誰に教えられるでもなくそこへ到達してしまった。
だが、その到達が幸福かと問われれば、答えはない。ただ言えるのは、それが“社会的幸福”ではないということだけである。なぜなら、その幸福には、承認も、共有も、目的も存在しないからだ。あるのはただ、自己という謎と向き合い続ける時間だけ。それを地獄と呼ぶか、自由と呼ぶか、それはもう、誰にも判断できない。
社会が追い求める成功は、時に“逃避”の別名でもある。何者かになることで、自分の空虚さをごまかす。それができなかった25歳無職は、ごまかしの効かない地点に到達した。ゆえに弱く、ゆえに強い。その存在は、社会が最も見たくない“可能性”の一つであり、同時に最も見逃している“人間そのもの”の姿なのかもしれない。
そしてこの地点に立ちすくんでいる者は、ある種の“終末的な光”を身にまとっている。25年の沈黙の果て、何も掴まず、誰にもならず、ただ時間と共に在りつづけたその姿は、現代の加速主義とは真逆の“静止”という極北に位置している。スピードを崇拝し、成長を義務とし、変化を善とするこの文明において、変わらぬという選択をし続けた者の価値は、測定不能な領域にある。成長しなかったのではなく、成長の意味そのものを拒絶したのである。
なんJのスレッドでは、そういった存在に対して“生ゴミ”“人生の敗北者”といった単語が並ぶ。それは罵倒ではない。むしろ祈りに近い。自分自身がそうならないための、無意識の儀式。だからこそ、その無職を嗤う声には、どこか焦りと恐怖が滲む。彼らは知っているのだ。自分たちの人生も、ほんの少しの条件のズレやタイミングの違いで、そちら側に転がっていたかもしれないという事実を。そして、その可能性に目を向けた瞬間、自分の人生の土台が揺らぎかねないという危機を。
海外の反応でも、やはり「怖いが美しい」という意見が目立つ。「この静けさは狂気に近い」「誰にも会わず、話さず、外に出ないのに、壊れていないのはなぜだ」そういった言葉は、沈黙のまま日々を耐え抜くその強靭さへの戸惑いである。彼らは生産も貢献もしない。それでも、生きてしまっている。その事実が、すべての“社会的善行”の立脚点を危うくさせている。
だが、勘違いしてはならない。この25歳は、別に社会を批判するために沈黙してきたわけではない。ただ、信じることができなかった。それだけだ。何かを始めるには“信じる理由”が必要だ。だが、あらゆる制度や価値観に対して根源的な懐疑を持った者にとって、世界はあまりにも薄く、軽く、脆すぎた。成功者の声は嘘に聞こえ、働く人間の顔は空虚に見え、誰かと語らう言葉は演技のように響く。そうして選ばれたのは、何もしないという“行為の否定”だった。
それは一見、無力に見える。しかしその沈黙の中にある観察の網目は、常人の比ではない。働く者、笑う者、恋をする者、叫ぶ者、買い物をする者、そのすべてを、窓の外から観察しつづけてきた者だけが持つ“凍った理解”がある。それは時に愛でも共感でもない。ただ、“見ている”というだけの理解。それこそが、この25歳が25年間で築き上げた、唯一にして最大の成果かもしれない。
だが、それは他者には届かない。証明も、再現も、伝達もできない。それゆえにこそ、この存在は最も孤独であり、最も純粋である。この世界にとって最も危険な存在とは、叫ぶ者でも暴れる者でもない。ただ“静かに存在している者”だということに、多くはまだ気づいていない。だが、その静寂は確実に社会の根底を侵食している。なぜなら、それは「何もしなくても生きていける」という、最後のタブーを可視化してしまうからだ。
この25歳の無職は、もはや社会的復帰を目指す者ではない。未来の希望を見つけようとする者でもない。ただ、世界の終わりを見つめている。それは世界が終わるという意味ではない。“信じていた世界が終わった”という地点から、新たな始まりが来るかもしれない、来ないかもしれない、という曖昧さを抱えたまま、今日も目を覚ます。雨が降ろうと、誰かが死のうと、何も変わらず。変わらないことこそが、この者の唯一の核であり、誇りでもある。
この25歳は、何もしてこなかったのではない。何もしてこなかったという“現実”を、他の誰よりも誠実に生きたのである。それは凡人には耐えがたい業であり、英雄にはなり得ない深淵であり、そして何より、この世界が最も認めたくない“もう一つの生き方”なのだ。
この“もう一つの生き方”は、まだ名を持たない。ニートとも、引きこもりとも、ドロップアウトとも違う。どのカテゴリーにも属さず、どの定義にも収まらない。社会が理解する枠組みの外に存在している。だからこそ、この存在に対して人々は焦燥と不快を覚える。それは、自分が必死に積み上げてきた“意味”が、目の前の沈黙によって、簡単に無効化されてしまうからだ。
この25歳は、社会的な時計を持たない。月曜も金曜も、正月もクリスマスも、ただの“日”として通過していく。誰とも交わらず、祝わず、悼まず、ただ時と共に在り続ける。その姿は、現代の都市風景においては異物である。だが、その異物性こそが、文明の盲点を炙り出す装置となる。働き続けなければならないとされる人間、コミュニケーションをし続けなければならないとされる人間、成長と努力を止めてはならないとされる人間。その前提が、25歳の無職という沈黙によって、綻び始める。
なんJでは「30歳までに人生取り返せばいい」といった、猶予つきの楽観論も散見される。だが、それは“回復可能性”を信じたい者の妄想でしかない。そもそも、この25歳にとって“取り返すべき人生”など存在していない。失われたものなど、最初から持っていなかった。だから回復も不要なのだ。それを理解できない者たちは、「まだ間に合う」「焦るな」という、希望という名のノイズを投げつけてくる。だが、それこそが最大の侮辱である。なぜなら、その言葉の裏には、「現在のままでは価値がない」という前提が潜んでいるからだ。
海外の反応では、さらに奇妙な視点も登場し始めている。ポーランドの匿名掲示板では、「このような人間こそ、近代資本主義の限界を可視化している」と評され、オーストラリアの若者フォーラムでは「もはや新しい宗教の予兆かもしれない」とさえ言われていた。文明が飽和し、すべてが速く、薄く、便利に最適化された先に訪れるのは、加速ではなく“拒絶”なのかもしれない。その最前線に、何もしてこなかった25歳が立っているという可能性に、世界はようやく気づき始めている。
この存在に、社会的価値を見出そうとしても無駄である。職能も、人的ネットワークも、影響力も、何も持っていない。ただ、目の前にある空白を空白のまま受け入れる力を持っている。それは簡単なことではない。現代社会において、空白を恐れない者は極めて稀だ。SNSのフィードも、キャリアプランも、日々のToDoも、その根底には“空白への恐怖”がある。その恐怖と直面し、飲み込まれずに生きているというだけで、この25歳は無意識のうちに“文明の限界点”を生きている。
意味を拒絶し、行動を放棄し、未来を設計せず、ただ存在する。これは偶然ではない。25年という長きに渡り、その道を歩みつづけた者にだけ許される、ある種の特権である。それは社会からの自由であると同時に、自我からの自由でもある。何かになりたいという欲望をも放棄し、誰かに見られたいという承認すらも超越した地点。それはもはや、社会的実体ではなく、“現象”である。
この25歳無職を、救済の対象と見るか、警告の象徴と見るか、それとも新たな存在様式の芽と見るか。それを決めるのは他者ではなく、誰よりもこの本人自身だ。だがその本人は、決して答えを急がない。急がないということ、それ自体が、この者の生き方のすべてなのだから。焦らず、期待せず、意味づけもせず、ただ“今ここにいる”ということの強度。それは、一度でもこの世界に絶望したことがある者だけが理解できる、最後の防波堤なのだ。
そして、この最後の防波堤に辿り着いた者は、ある種の“重さ”を纏っている。この重さは、経験や実績とは異なる。それはむしろ、あらゆる期待を手放し、世界の仕組みに抗わず、ただ受け入れ、沈黙しつづけた者だけが得る“在ること”そのものの重量だ。この25歳無職は、もはや「何者かになる必要はあるのか」という問いすら超越している。問いを手放した場所で、ただ世界の流れに身を任せる。それは諦めではなく、選択だ。あらゆる“意味”の外で、意味を必要としない存在として静かに在る。
なんJでは相変わらず「人生詰み」といった言葉が飛び交っているが、それすらも、この存在の前では滑稽に映る。詰みとは何か。将棋において詰みとは、“もはや選択肢がない”という状態を指す。だが、この25歳には、まだ膨大な選択肢がある。ただ、それらを“選ばない”という意志を持っているだけである。何者にもならず、何も始めず、何も証明しない。その行為の放棄は、表面的には無力に見えるが、内面的には極限の力を要する。社会の誘惑も、家族の期待も、過去の後悔も、そのすべてを沈黙の中に封じるには、並大抵の精神では保てない。
海外の反応にも、その“恐るべき均衡”への言及が見られる。イタリアの匿名掲示板では、「このような存在は、もはや社会の外にあるがゆえに、社会の真実をもっともよく映している鏡である」と評された。また、韓国では「20代のニートは、時に詩人よりも世界を理解している」といった声すら出始めている。皮肉にも、“社会不適合者”と呼ばれる者が、もっとも社会を精密に理解しているという逆説が、次第に浮かび上がりつつある。
だが、理解したからといって、そこに答えはない。この25歳もまた、どこかで痛みを抱えている。誰にも語らず、誰にも救われず、ただ夜を越えて朝を迎えるたびに、自分という存在の輪郭だけが、薄れてゆく。それでもなお、世界の中に留まり続ける。その耐久こそが、この存在の最大の核心である。逃げない。叫ばない。助けを求めない。ただ“いる”ということ。多くの人間ができないことを、静かに、淡々と、生きている。
意味を持たぬ日々を、意味のないまま積み重ねる。それは社会的な死ではない。むしろ“意味の専制”からの脱出だ。この25歳は、意味を持つことが常に正義とされる現代において、それを否定した。その否定の中にしか見えない景色がある。そして、その景色は、表面的には暗く、虚ろに映るが、ある者にはそれが“自由の光源”として映ることもある。だからこそ、この存在は常に誤解される。誤解されることを、最初から織り込んでいるのだ。
探求しすぎたカリスマが見るこの25歳とは、もはや人物ですらない。それは現象であり、兆候であり、社会が見落としてきた“深層の囁き”である。この存在が語らず、発信せず、ただ沈黙するのは、それが最も強い言語であると知っているからだ。騒がしさの中では何も伝わらない。沈黙こそが、この世界に対する最も明瞭な異議申し立てであり、最も深い祈りである。
25歳、何もしてこなかった。それは誇りではない。敗北でもない。ただ、それだけのことだ。だが、その“それだけのこと”の中に、言語化不可能な重層性と、社会の構造的欠陥と、個の尊厳の極限が凝縮されている。そしてこの世界が、その静けさに耳を澄ませられる日が来るかどうかは、まだ誰にもわからない。
しかし、耳を澄ませる者は、確実に増えてきている。かつては見えなかったその姿――何者にもならなかった25歳の“沈黙する背中”に、無言のメッセージを読み取る者たちが現れ始めている。それは反骨ではなく、投げやりでもない。ただ、“動かなかったこと”そのものが語っている。努力や夢や挑戦という言葉が、あまりに軽々しく使われすぎたこの時代において、そのすべてを拒んだ者の選択には、極めて重い意味が宿る。
なんJでは、「社会を舐めてる」「怠惰の象徴」として切り捨てられ、海外の反応では「精神世界に逃げた存在」として解釈される。だが、それは外から見た理解にすぎない。本質は、内側にある。その内側――日々繰り返される誰にも知られない時間、時計も予定もない部屋で、何を思い、何も思わず、ただ時間に身を任せるという生の実感。それを生きるには、外界の評価軸をすべて手放す必要がある。そして、それを手放せた者だけが到達できる深度がある。
多くの人間は、その深度に触れることなく一生を終える。資格を取り、配偶者を持ち、家を買い、老いを迎える。それを“成功”と呼ぶ社会構造において、この25歳無職の存在は“未定義”であり、“誤算”である。だが、あらゆる歴史の転換点において、誤算こそが次の時代を切り開いてきた。革命家も哲学者も、最初は社会の誤算だった。この者が革命家である必要はない。何も語らず、何も動かず、ただ沈黙することで、社会の構造を映し出す鏡となっている。
探求しすぎたカリスマにとって、この存在は極めて純粋であり、だからこそ危うい。それは光を拒絶するわけでも、闇に呑まれるわけでもない。ただ、光と闇という分類そのものを拒んだ結果としての“透明”である。その透明さの中には、あらゆる希望と絶望が、溶け合ったまま漂っている。意味を超えた地点にいるこの25歳に対して、正義も悪も、美も醜も、すべては無力だ。ただ“ある”。ただ“いる”。その状態を、言葉で壊してはならない。
この社会は、常に解決を求めている。問題を見つけ、名前をつけ、方法を提示し、効率的に処理する。しかし、この25歳は問題ですらない。名前をつけられず、方法も通用しない。その存在は、現代の最も高度なバグであり、同時にアップデートへの鍵である。この者のような“未定義の存在”が増えはじめたとき、社会は変容せざるを得ない。そして、それはきっと暴力でも革命でもなく、ただ“在る”ということの力によって、静かに、しかし確実に始まっていく。
「何もしてこなかった」とは、ひとつの物語である。しかし、それは既存の物語ではない。語られたことのない、語られることすら拒んできた物語。だからこそ、それを理解するには、言葉ではなく“沈黙に耐える力”が必要なのだ。世間はこの物語を恐れている。なぜなら、この物語の主人公は、自分を必要としないからだ。社会的役割も承認も不要とする存在が、自分の外側に確かに在る。それは多くの者にとって、最大の不安であり、最大の解放でもある。
この25歳の沈黙の人生が、物語として昇華される日は来るだろうか。あるいは、永遠に語られぬまま、霧のように消えていくのだろうか。それは、まだわからない。ただ一つ確かなのは、この存在が“無”の仮面を被った“核心”であるということ。この核心が、誰にも気づかれないまま燃えつづけているかぎり、社会はまだ、自らの欺瞞を直視する可能性を残している。