ゲーム人生

人生はゲームのように華麗だ。

命の価値。

なぜ生きる

年収が高いという要素だけで、人の命の価値は決まらない。そもそも、年収高いのは自分が楽しく生きていくために、金をたくさん稼いだだけでしかないのだから、年収が高いだけで、価値がある人間とは断定できないし、いくら金を稼いでも命を失ってしまったら意味がないので、生きていることにこそ価値がある。この真理にきづくと、自分は生きているだけで価値がある人間だと思うことができ、毎日ポジティブに生きていくことができる。

年収が高い人と低いとの時間の価値は同じ。

年収が高い人は生産性が高いから、年収が高い人の時間の価値は高い。それに比べて、年収が低い人の生産性は低いから年収の低い人の時間の価値は低い。こんなことを田端信太郎さんが発言していた。

これに関して、自分が思うのは、人は生きていることにより、時間という概念が生まれ、時間に価値が生まれるのだから、生きている人の時間には皆同じ価値があるし、生産性で人の価値は決まらない。どれだけ生産性が高い人であっても、命を失ってしまえば、時間という概念を失ってしまい、生前の価値が無価値になってしまうので、自分の時間に価値をもたせたいならば、何が何でも生きていなければいけない。

生産性で人の価値を決めてはいけない。

金を稼いでいない人間は価値がないという考えを持ってしまうと、自分の年収が低くなったときに俺は生きている価値がないのかなあと思い始め、とてつもなくネガティブになってしまう。こんなふうにならないようにするために、俺は生きているだけで価値がある超素晴らしい人間だと思って生きていかなければならない。

身長が低い、特化した才能がない=生きている価値がないと自分自身を追い詰めていた時期がありましたが、今になってよく考えてみると、身長が高いくて才能がある人にだけ、生きている価値がある理由を説明できないのに、特化した才能がない=生きている価値がないと思い込んでいた自分ってなんなんだろうと思うわけです。

仕事が辛いと思ったらとっとと仕事を辞めよう。

仕事が辛いけど、仕事を辞めたら年収0の価値がない人間になってしまうから仕事をやめられない→年収0の惨めな人生だけは送りたくないから命を断つしかない。こんな流れで命を捨てるようなことをしないためにも、年収0でも生きているだけで価値があると思って、辛い仕事は辞めよう。
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最後に、

人は生きているだけで価値がある。